●文:天野 昭・本誌発行人
●写真:川津貴信
日本のケーブルテレビは1955年に群馬県伊香保温泉「千ちぎら明仁じん泉せんてい亭」第21代当主の千ちぎらさん明三右う衛えもん門がアメリカの雑誌記事で「これからはケーブルテレビ・ビジネスが流行る」ことを知って、温泉客に東京波の再送信サービスを提供したことから始った。それから約20年後の1974年に佐藤浩市がテレビ松本ケーブルビジョン(TVM)を立ち上げた。
その年、古河電気工業は世界初の光ファイバケーブルのフィールド試験に成功した。そこから、TVMと古河電工の最初のビジネス上の縁が生まれた。まさか最初から佐藤浩市が光ファイバを敷設するわけではない。「ゆくゆくはケーブルテレビ事業は光ファイバで番組を送る時代になる」という予見は1980年代に得たものだろう。
信州松本というプライドの高い文化都市で情報産業を立ち上げた佐藤浩市は、持ち前の経営力を発揮して、いつしか電通のケーブルテレビ営業化研究会:ジャパン・ケーブル・ネットワーク(JCN)の主軸メンバーに踊りでていた。
TVMは創業以来、古河電工に株主として、また技術的サポーターとして支えられてきた。両社の間には硬い絆が生まれた。古河電工は「世紀を超えて培ってきた素材力を核として、絶え間ない技術革新により、真に豊かで持続可能な社会の実現に貢献する」を経営理念として、130年を超える歴史を歩んできた。
小林敬一は、構造改革に邁進し、新事業育成などにも取り組んだ前社長(柴田光義)の跡を2017年4月に引き継いだ。「普通は“業界誌”などに絶対に登場したことのない小林社長が表紙に出てくれるんだから・・・」と佐藤浩市は表紙撮影の部屋で上機嫌だった。その部屋の隅には古河財閥創業者・古河市兵衛(1832 ─1903)の胸像があった。「創業者の前で記念写真でもどうですか」と奨めると、佐藤と小林は自然に握手を交わし、カメラマンの要請に応えた。
2017年7月6日、松本市内で「オール光ファイバ化工事安全祈願祭」がおこなわれた。佐藤浩市は古河電工との信頼関係を基軸に「4K8K放送を実現し、デジタルサイネージなど構想しているサービスを実現するためにFTTH化に踏み切りました」と静かに宣言した。会場にいた塩尻市長や金融団などはFTTH事業の可能性を信じ切っていた。
すでに工事は始まっている。松本市内1129㎞、塩尻市+山形村+朝日村などが約600 ㎞の光ファイバ敷設工事は2020年5月まで続けられることになる。
古河電工が光ファイバのフィールド実験に成功してから40年以上の歳月が流れた。小林は現在、中期経営計画「Furukawa G Plan 2020」の陣頭指揮を執っている。就任早々の記者会見で「これからは情報量の爆発的な伸びに支えられて光ファイバなど情報通信部門の成長が期待できる」と述べ、やや高めのゴールを目指してグローバル企業の古河電工グループを引っ張っている。
古河電工は、東京の本所鎔銅所と横浜の電線製造工場などを母体として設立された。当時の情報通信部門は銅線が支えていた。今は光ファイバ。 「大丈夫、まかせておけ」、古河電工は光ファイバではコーニング社などに次いで世界3位のシェアを誇る。小林は製造現場の最前線で「ものづくり道」を長年極めてきた。佐藤浩市と小林敬一の2人の熱い思いが両社の現場に元気を送っている。(文中敬称略)