今月の表紙 東京工業大学
AIが考え24時間実験する“科学者ロボット”
未知の探索空間も解析して新素材を開発
一杉太郎 東京工業大学 物質理工学院 応用化学系 教授

●文:渡辺 元・本誌編集長
●写真:川津貴信

材料作製→評価→予測を自動化

 東京工業大学 物質理工学院 応用化学系 一杉太郎教授は、原子を一個ずつのレベルで精緻に並べ高機能な材料を作るアトムエンジニアリングの専門家だ。2015年には、安全、長寿命、短時間で充電できるといった長所を持ち世界の自動車メーカーが開発に鎬を削っている全固体リチウム電池が高速で充放電できることを世界にさきがけて実証した。現在はトヨタと自動車向け全固体リチウム電池の共同開発を進めている。

 このような新材料開発と並行して一杉教授が企業(真空技術を使った理化学機器メーカーの株式会社パスカル)と共同で開発に取り組んでいるのが、人工知能とロボットを駆使した新物質合成の実験装置(各種成膜・評価装置複合化クラスターシステム)だ。一杉教授はこの装置を「実験室の産業革命」と呼ぶ。この装置の機能を聞けば、この呼び方が決して大げさではないことがわかる。

 装置の内部は超高真空になっている。空気のない環境下で物質の薄膜を積み重ね、新材料を作っていく。装置中心部のチャンバーからは放射状に6方向に筒状の装置が伸びている。この6本の筒の内部には、それぞれ全固体リチウム電池用電解質の薄膜作製、ディスプレイ用材料の作製、中心部のチャンバーに試料を導入するなどの役割が割り当てられたロボットが入っている。このロボットには、半導体工場で実用化されている技術を応用した。

 この実験装置は次のような一連の工程を行う。例えばイオン伝導度が大きな固体電解質の材料を作りたい場合、イオン伝導度の目標値を設定すると人工知能が最適な合成条件を予測し、薄膜を合成するロボットに指示を出す。ロボットはその指示に従って薄膜を合成する。さらに計測装置がイオン伝導度測定を行って、その評価結果を人工知能に報告する。人工知能はイオン伝導度がさらに大きくなる合成条件を予測し、ロボットに薄膜合成の指示を出す。この材料作製→計測・評価→予測・指令→材料作製……というサイクルを24時間、常時自動的に回していく。

 これまでも新材料開発の一部だけを自動化した例はあったが、この装置はロボットによる作製工程だけでなく、作製した材料の評価と次回の作製に向けて条件を最適化するという頭脳の部分も人工知能によって自動化した点が新しい。所要時間はロボットによる薄膜合成に1時間、計測・評価に30分かかる程度だ。人工知能による予測・指令は数分で終わる。人間の研究者なら一日に2サイクルを回すのがやっとだが、このシステムを使えば24時間で10サイクル近くー回すことが可能になる。

 一杉教授はこの実験装置に大きな期待を寄せる。「新材料の開発には、材料の作製、その特性の評価だけでなく、次にどのような条件で物質を作るのが最適かを予測することが重要です。従来は研究者が予測を行っていましたが、この装置は人工知能が予測します。これまでは人間の手によって行っていた材料作製→計測・評価→予測・指令のサイクルをすべて自動化することにより、短期間で新材料を開発できます」。

人口減少時代に必要な実験装置

 「さらに、人間には絶対にできないことも可能になります。例えば全固体リチウム電池の新電解質を開発することを考えます。従来のような人間が作製する研究の進め方では、まず基板温度と酸素分圧など2つのパラメータを振って、二次元のマトリックス(行と列)を埋めるように多くの薄膜を試作します。そして、それら薄膜の特性を計測・評価することにより、最適な作製条件の組み合わせを決定します。次にその条件に3つ目のパラメータ(原料組成など)を追加して、条件最適化を行います。このように多数のパラメータがあっても、人間はまず二次元マトリックスで最適な組み合わせを探していくことしかできません。それに対してこの装置は人工知能のベイズ最適化の手法によって四次元、五次元といった多次元空間の中でパラメータを一度に最適化できます。人間には四次元、五次元の最適化はできませんので、人工知能を使うことによって人間の研究者にはアプローチできなかった探索範囲を一気に広げることができます。探索範囲の拡大は新材料発見のチャンスとなります。さらに、この手法を使うと、実験回数を大幅に削減することができます。網羅的に条件最適化を行う場合、材料作製→計測・評価→予測・指令のサイクルを1,024回繰り返さなければならないところ、ベイズ最適化を使えば15回のサイクルだけで5%以下の誤差で最適な条件を見つけることが可能であることが、数学的に証明されています」(一杉教授)。

 現在日本は物質や化学・材料の分野で世界トップレベルにある。しかし、中国などの追い上げも激しい。研究者の数も多い中国は、研究者レベルの向上とともに人海戦術も使ってこの分野に取り組み、成果を上げている。海外の研究機関の急迫に対して、今後人口が減少していく日本が科学研究と産業を維持・強化していく上で、この実験装置の開発は重要な意味を持っている。「これから人口減少で学生の数もどんどん減っていきます。これは研究開発の担い手が減っていくということです。今日本はまだ化学産業、素材産業が強く、それを基にした半導体などのモノ作りが強いのですが、今後人口が減っていくとこれらの産業の土台が揺らいでしまいます。現在中国などがこの分野でもどんどんキャッチアップしています。私は日本の将来に危機感を持っています。しかし、この実験装置のように研究開発の生産性を高めるシステムを導入することによって、研究者のクリエイティビティを最大限に発揮させることができます。このシステムは研究室の産業革命だと思っています。日本のモノ作り産業がまだ強いうちに、モノ作りをさらに強化することができるからです」(一杉教授)。一杉教授はこの実験装置によって、科学研究の進め方に一石を投じようとしているのだ。

 この実験装置の完成は近い。今年度中にベイズ最適化のソフトを開発し、2019年度に実際にサイクルを回して新材料開発を行い、効果を実証する予定だ。現在ロボット、人工知能などそれぞれの分野の企業と共同開発を進めている。開発中の実験装置の初号機には、全固体リチウム電池開発用にイオン伝導率の測定装置などを搭載するが、他にも開発したい材料に応じた物性の測定装置を搭載することができるので、今後いろいろな新材料を開発することが可能だ。

 一杉教授がこの実験装置を使って将来開発することを目指しているのが、室温超伝導物質だ。「世の中のエネルギー問題も解決できる超伝導は重要な技術です。これができればエネルギーの貯蔵でも輸送でも問題が解決します。人工知能による材料探索によって、これまで考えられていたのとは全く異なる、思いがけない物質から室温超伝導物質を発見できるかもしれません。定年まであと20年の間に、何とか見つけることを目指しています」(一杉教授)。

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