<開催直前大特集! 2002 FIFAワールドカップ 世紀熱島! デジタル放送×IT>
佐佐將行・JAWOC情報通信専門委員会委員長代行に聞く
大会運営で大活躍するIT

2002年6月号掲載(※記事の抜粋。全文は本誌をお読み下さい
 日本と韓国、2国で行う「共同開催」は、運営面からみると非常に厳しい条件が多い。そのためにITを駆使しようと誰もが考えた。だが、ITの準備はなかなか進まなかった。いや、進められなかったと言ったほうが正しい。招致段階から共同開催準備を、ITの立場で一貫してきた2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会(JAWOC)情報通信専門委員会の佐佐將行・委員長代行に、準備期間の流れと大会中に活躍するITのサービスを聞いた。
(取材・文:吉井 勇・本誌編集長)


「日本招致」の作戦は
ITパフォーマンスが切り札だった

 1996年5月31日(日本時間6月1日)に、FIFAが日本と韓国の共催を決定した。この決定に至るまで、両国は単独開催を主張し、激しく招致合戦を繰り広げた。
 この招致段階では、「ITは招致で勝つための切り札の一つとして位置付けられていた」と佐佐將行・JAWOC情報通信専門委員会委員長代行(以下、代行)は話す。
 「1994年のアメリカ大会でITが導入され、1998年のフランス大会では本格的な活用になっていました。こうした欧米の先進国には負けられない。ITの質を下げるのは自負心が許さない」ということで、当時の招致委員会に情報システム委員会(ITC)を設け、提案内容を検討した。「1995年当時で、7年先の開催年2002年のIT技術を見通す、これは至難の技です。4年で1サイクルというドッグイヤーの進歩を想像し、一方では韓国との競争に勝たなければならないので、夢物語でもいけないというチャレンジでした」と、佐佐代行は思い起こす。
 そこから出てきた日本開催の提案は、立体映像の巨大画面で応援できる「バーチャルスタジアム」と、ファンのための「FIFAマルチメディアサーバー」の開発と運用という2つを目玉にしたものであった。
 佐佐代行は「現在、結果的にバーチャルスタジアムは『メガビジョン』として、FIFAマルチメディアサーバーは一般向けの『FIFA Worldcup.com』や、関係者用の『FIFA.com』となって実現されてきています」と振り返り、当時の議論の先見性と時間軸の読みの確かさを語る。


大会運営で活躍するIT
ダブルバイトに対応したシステム開発

 大会開催が共同となったことで、IT関係も共同で進める作業となった。「複数回にわたる日韓IT関係者の調整会議を経て、フランス大会を共同で視察し、共同でレポートをまとめました。このあたりから、招致時代のわだかまりから、パートナーとして共催成功へという共通の意識になりました」と佐佐代行。
 ところが難問が出てきた。IT分野のスポンサーが決まらないのである。FIFAが、前回までのITスポンサーの扱いかたを変えてきたからだ。アメリカ、フランスの両大会では、IT関係は開催委員会(LOC)が決めるオフィシャルサプライヤーであったが、今回はオフィシャルパートナーとしてFIFAが扱うことになった。そのため、多額のスポンサー料が必要となり、それまで支えたEDSやヒューレットパッカードが大会の2年前までに相次いで敬遠した。その結果、スポンサー探しが難航し、実質の準備期間は「フランス大会の1/3という短さ」(佐佐代行)となった。それだけではない。これまでのアメリカ大会とフランス大会を支えてきたEDSが"降りた"ことで「ノウハウやソフト資産の継承ができない」という重い壁も付いてきたのである。
 そこで、佐佐代行は「新しいチャレンジよりも、これまでのレベルを確実にやること、いわばリバイバルプランの考えでした。だから簡単かといえば、両国の間には海があるわけで、ネットワーク構築一つとっても実にむずかしい。しかも、日本語や韓国語はダブルバイトですから、2種類のダブルバイト同時対応であり、それぞれのOSが実質的には異なることと併せて、ソフトウェアの品質確保に手間がかかります。しかし、時間は少ない。時間こそが品質を保証することからいえば、二重苦、三重苦でした」と語る。


(※記事の抜粋。全文は本誌をお読み下さい

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