e-Japan戦略−−
国家戦略が有効に機能するのか
2000年7月に政府は、内閣に「情報通信技術(IT)戦略本部」を設置し、併行して20名の有識者からなる「IT戦略会議」を設置した。さらに、2001年1月6日から「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)」が施行された。これにより、明確にIT推進を日本の国家戦略として行うことが確定したのである。この戦略がはたして有効に機能するものかを考察してみたい。
e-Japan重点計画と修正案−−
修正案で責任省庁と実施期限を明記
2001年3月2日、IT基本法第29条に基づき設置された「IT戦略本部」は、これらの目標を達成するために「e-Japan 重点計画」を採択し、競争条件の確保(NTTグループに対する監視の強化などが内容)、インフラ整備促進策(光ファイバーの整備状況の公開など)、研究・開発の取り組みなどを決めた。そして、それを実現するために、「全公立学校のインターネット接続」、「電子商取引のための基幹的整備制度」、「電子政府の基盤作り」など、220項目の具体的施策を掲げた。
2002年5月9日、IT戦略本部は、早くもこの「e-Japan重点計画」を見直す「e-Japan重点計画2002(案)」を発表した。「e-Japan重点計画2002(案)」は、「世界最高水準の高度情報通信ネットワークインフラの形成」や「電子商取引等の推進」など重点政策5分野について、新たに97施策を追加し、「e-Japan重点計画」の200項目と合わせて317項目の具体的施策を盛り込んだ内容となっている。実施の責任を持つ省庁と実施期限を明記することで、実現を加速することも狙っている。
ブロードバンド普及の現状−−
予測以上のxDSL急伸と光の低迷
「e-Japan戦略」のインフラとなる高速・超高速ネットワークの整備に関連して、総務省は2001年10月16日、世界最先端のIT国家の実現を目指して、表にあるような数値目標を掲げた「全国ブロードバンド構想」を発表した。しかし、早くも2002年5月2日にはその見直しが必要となり、同年夏までには実態に即した政策立案や予算請求を行う方針を固めた。たった半年余の間に何があったのか。
まず、xDSLに関しては2002年3月末時点における利用者数(注1)は、予測の164万世帯を大幅に越えて238万世帯と、一挙にCATVモデム利用者数を抜き去ってしまった。速度も8
Mbpsと高速化し、利用料金も月額3,000円を切るものまで出現してきたので利用者が急増している。そして、この傾向は今後とも続く見通しである。一方、CATVモデム経由の接続は予測の205万世帯にはるかに及ばない146万世帯と低迷。光ファイバーに至っては、予測の7万世帯に比して2.6万世帯にとどまり、構想時の37%に過ぎないという体たらくである。
総務省は、このような流れから判断して、従来は光ファイバーが主流となると考えていた高速通信の手段を、「見直し」においては必ずしも光ファイバーにこだわらずに、xDSLと光の二本立てに変更しようというものと思われる。しかし、ミドルバンドの躍進に目がくらんで光ファイバーによる真のブロードバンド推進が疎かになってはならないのだ。また、IT過疎地は相変わらず過疎地のままであることも認識しておかなければならない。
二度目の挑戦−−
不況から最初の取り組みは頓挫
このような政府によるIT推進への本格的な取り組みは、実は1994年以来二度目である。当時も内閣に「高度情報通信社会推進本部」が設置されて、官民をあげての情報化推進の試みが行われた。
しかし、これは1996年後半からの不況、及び97年からのアジア経済の混乱の余波を受けて頓挫してしまったものである。
この二度目の挑戦で、今度こそは成功してほしいものだが、率直にいって取り組みの主体、及び実現のための具体策の点から、いささか疑問が残る。
官民の役割分担−−
支援だけでは目標達成できない
「e-Japan 戦略」においては、もっとも基盤的なインフラストラクチャー構築の面においても、すべて民間が主導的な役割を担うことが期待されている。たとえば、「5年以内に3,000万世帯が高速アクセスで、1,000万世帯が超高速アクセスでインターネットを利用できる」のを実現するために政府が行う施策は、非対称規制の導入等による公正競争条件の整備、既存光ファイバーの活用、接続ルールの整備(以上、総務省)、線路敷設の円滑化のための施策として電柱・管路等の開放(総務省)、収容空間の整備・開放、工事規制の見直し、線路敷設ルールの整備(以上、国土交通省)及び事業者に対する直接的支援として低利融資、税制優遇措置、債務保証などの支援策を講じることである。
政府は対策の推進主体とはならないし、事業リスクをとることも一切行わない。世界の先行事例からみても、政府が環境整備を行ったり規制緩和を行いさえすれば、ブロードバンド構築目標が達成されるという保証はない。後述するように、市場の失敗が予測されるような環境では民間企業は育たない。それに、まだ十分立ち上がってもいない民間の動きを支援することはできないはずである。
21世紀の重要公共インフラ−−
レイヤー別に官民の役割分担を
IT推進において民間の活力が競争をもたらし、技術の向上と料金の低廉化をもたらすことには疑いがない。しかし、それは情報通信インフラストラクチャーよりもずっと上のレイヤーの、産業利用やコンテンツ分野に限るべきである。教育の振興、人材の育成、電子商取引などの促進、産業の情報化などの分野においては、民間が主導的な役割を果たすのが効率的である。
しかし、より下のレイヤーのインフラに関しては、民間企業主体では構築は進まない。人口が密集していて企業のニーズも成熟しつつある地域以外には、民間企業は採算がとれないから決して進出しないだろう。今や情報通信インフラストラクチャーの役割と重要性は、ちょうど道路、橋、港湾に相当するような強い基盤性を持っているのであるから、民間にこれを推進するのを期待するのではなく、むしろ主体的な役割を政府や地方公共団体が積極的に果たすべきである。「e-Japan
戦略」は、民間に公共財である道路や橋の建設を期待しているようなものである。
米国もブロードバンド推進に関しては、同じように規制緩和と民間企業誘導・支援型の政策に拘泥している。2002年2月に上院を通過して下院に回付されたトウジン・ディンゲル法案にしても、民間のILEC's(注3)をいかに鼓舞してブロードバンド・サービスの推進に向かわせるかの方策に過ぎない。このままでは米国は、政府や地方自治体が主体的かつ積極的な推進策を取っている韓国、カナダ、スウェーデンなどにますます後れをとってしまうことになりかねない。官民の役割分担は一律に民間主導とするのではなく、レイヤー別に軽重をつけて考えるべきなのだ。
市場の失敗の恐れ−−
社会移行において影響は重大
情報通信インフラ構築が民間主導で推進される場合の、局部的な行き過ぎや不均一な展開からもたらされる蹉跌は「市場の失敗」と位置づけることができる。このままでは地域的デジタル・デバイドの弊害がますます顕在化して新たな問題が発生するだろう。デジタル・デバイドそれ自身は、対症療法的な政策によりある程度まで対処が可能かもしれない。しかし、この時点におけるITインフラ構築分野における「市場の失敗」は、後期工業化社会への移行という50〜60年単位の長期波動の節目における齟齬であるだけに、影響は重大である。
(注1)総務省2002年5月2日発表
(注2=当サイトには掲載していない表の注)インターネット接続数はこのほかに携帯電話によるものが約5,200万ある。
(注3)ILEC:Incumbent Local Exchange Carrier。旧AT&Tから分離したBOC(Bell Operating Company)やその他の独立系の地域電話会社などの旧来からの確立された地域電話会社。
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