孫基禎−−ソン キ チョン。彼の名をご存知だろうか。1936年に開催されたベルリン五輪において、世界最高記録で優勝したアジア人初のマラソン金メダリストである。11月15日90歳で永眠した。彼の母校である明治大学で、「孫基禎先生を偲ぶ会」が12月21日、冷たい雨の降る夜に開かれた。筆者は韓日サッカー共同応援団のメンバーであることから、案内をいただき出席した。
会場には、Qちゃんのコーチである小出義雄監督も参列し、追悼メッセージを送った。「孫先生のゴールテープを切る写真を見た中学生のときから、私の陸上人生が始まったのです。世界一のランナーの足はこうなんだと思い、目に焼き付けていました。写真に残る先生の足首に見える発達した筋肉は、今の高橋選手と同じです」。
多くの追悼メッセージの中で、スポーツジャーナリストである谷口源太郎氏の話が印象深い。ベルリン五輪当時の孫選手の国籍が、五輪の公式記録に「日本」として残ったままになっていることに言及したものだ。「日本オリンピック委員会(JOC)に、孫氏の国籍公式記録問題を問い合わせても、返事は一切ない。先日、ソウルで行われた孫氏の葬儀には、JOC、日本陸連に正式な案内が届かなかったそうだ。戦前の歴史をどう考えて行動するかが、現在だからこそ厳しく問われている」。孫氏自身もいく度となく「JOCがIOCに国籍変更を申し出てくれれば、解決するはず」と語っていたそうである。
2002年は、日韓のワールドカップ共催で双方の交流が深まった。が、世界最高記録で優勝した偉大なランナーの「国籍」を、日本自らの歴史認識によって対応できない限り、アジアにおける日本の歴史は一歩も前に進まないのではないか。こうしたアジアにおける歴史認識を、柳田国男のいう「常民」の視座から考えたいと思う。
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