<編集長メッセージ「新志脳巧商」>

2003年4月号掲載(※記事全文)

 スパイ・ゾルゲ。篠田正浩監督が映画人生最後の作品として仕上げに入っている大作だ(6月14日公開予定)。1944年11月7日に巣鴨刑務所で処刑されたロシア人のスパイで、ゾルゲ諜報団なるもので、太平洋戦争が始まる直前の日本政府の機密をソビエトに送り続けた国際スパイである。なかなかの「人誑し」だったようで、ハンサムで女性にもモテた。ジャーナリストとして日本に潜入し、優れた情報収集能力を発揮。特高に捕まったときには「もはや日本に盗む機密はない」と言い放ったというから、その腕たるや相当なものだったのだろう。
 この映画は、デジタル撮影でも話題を集めている。HD24Pカメラを使い、10ビット処理でHDDに収録。800カット以上のデジタル合成を駆使し、戦前の上海や東京の町並みを再現する。ゾルゲがデジタルで蘇り、日本という国の存在を改めて問いかける−−構想から十数年を経て、篠田監督が執念で撮りあげ、エンディングにはジョン・レノンの「イマジン」が流れるという。
 こんな映画のことを思いながら地上デジタル放送云々を考えていたら、知人が「地上放送と言ったら、地下放送があるのかと尋ねられた」と語っていたのを思い出した。「地下放送」なる言葉を知っている人は、年配の方か、思想史に詳しい方、または戦史に興味を持つ方だろう。ここではスパイの地下放送とは関係ないが、知人の話は興味深い。衛星放送に対する地上放送−−これが業界の常識だが、社会にはいろんな常識があるだよということを教えてくれるものだ。国民に広く「地上デジタル放送」を伝えるためには、まずもって用語という基本から考え直す必要があると考えたい。ひとりよがりは広報の大敵である、とゾルゲが言ったかどうかは知らないが。

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