月刊ニューメディア 2011年1月号掲載
連載 メディア関係者のための国際情勢
ジョセフ・ナイ・ハーバード大教授が論じる日米同盟の対中戦略(前編)
〜日経・米戦略国際問題研究所(CSIS)共催シンポジウム報告〜
第7回日経・CSIS共催シンポジウム「安保改定50周年、どうなる日米関係」が10月19日に東京で開催され、弊誌はその模様を取材した。同シンポジウムは日本経済新聞社と米戦略国際問題研究所(CSIS)の共催。前原誠司外務大臣など日米の安全保障担当者や研究者が講演やパネルディスカッションを行った。この中で、クリントン政権の国防次官補(国際安全保障問題担当)などの要職を歴任したジョセフ・ナイ・ハーバード大教授が基調講演を行い、日米同盟の対中戦略について見解を語った。中国の台頭に日本の世論が翻弄されている中、米国の外交政策に強い影響力を持つナイ教授はどう現状を分析し、対策を示したのか。2回にわたってレポートする。 (渡辺 元・本誌編集部)
中国の台頭に対する悲観主義
ナイ教授は講演で、現在の日米外交の最重要テーマは中国への対応だと指摘した。
「東アジアの将来を見据えるにあたって短期的にいろいろな問題があるが、より大きな問題は中国の台頭だ。日米の外交で最も重要なテーマは、中国の台頭にどう対応するかということだ」
中国は過去10年間、毎年10%の経済成長を遂げ、GDPは過去10年間で3倍に伸び、日本を超えて世界第2の経済大国となった。その上、軍事費は経済成長率を上回る率で拡大し続け、軍事力を増強している。さらにソフト・パワーへの投資も続けている。このような中国のパワーの増大は、各国に不安をもたらしている。
「歴史を通じて、一国のパワーが台頭する時期は不安や不確実性、しばしば暴力も生む。中国は我々の心に疑問符を付けるようになった。中国は平和的な発展と言うが、果たして平和裡の台頭なのか、それとももっと悲観的で、必然的な紛争が起こるのか、と」
この悲観的な見方としてナイ教授は、現在の中国の台頭を19世紀から20世紀のドイツの台頭と比較する専門家の議論などを紹介した。それは次のようなものだ。
・ヴ ィルヘルム二世が行ったように、現在の中国のリーダーシップは世界を作り変えようとしている。世界のシステムのルールを変え、それを操作しようとしている。(保守系の政治評論家ロバート・ケーガン氏の主張)
・現在の状況が続けば、アジアで戦争が起きる可能性がある。第一次世界大戦前にドイツが海軍力の増強によって英国を駆逐しようとしたのと同様に、中国は米国を東アジアから駆逐する。
・中国は平和的には台頭できない。米中は安全保障上の競争によって、戦争の可能性が非常に高い。(ジョン・ミアシャイマー・シカゴ大教授の主張。2010年夏にオーストラリアで行った講演での発言)
・英国のジャーナリスト、マーティン・ジャックス氏の著書『中国が世界を支配するとき』。
・最近の米国の世論調査の結果。1/3の米国人が「中国が間もなく世界を支配するだろう」と回答した。
米中の軍事力均衡は崩れない
ナイ教授はこのような悲観主義の危険性について、古代ギリシャの歴史家トゥキュディデスによるペロポネソス戦争の分析を引き合いに出して警鐘を鳴らした。
「アテナイとスパルタの戦争は、単にアテナイのパワーが台頭したために起こったのではなく、スパルタの中で生まれた不安が起こした。必然的に紛争が起こるという不安が、戦争の非常に大きな原因になり得る。我々は他国のタカ派の言葉を引用して、『これには非常に敵対的な意図がある』と言いがちだ。一国の勢力の台頭が生み出す恐怖があまりにも大きくなると、悲観主義が盛んになる。そして圧倒的な悲観主義によって、自己成就予言をもたらしてしまう恐れがある」
そしてナイ教授は、中国の台頭への悲観主義的な見方に対して、反証を行った。まず、19世紀から20世紀のドイツの台頭との類比は成立しないと述べた。
「米中の経済が今後とも現在の成長率を続けると、おそらく20年後ぐらいには中国の経済規模は米国を凌ぐ。つまり中国経済はあと20年かかってようやく米国経済に匹敵するわけだ。一方、ドイツの産業能力はすでに1900年には英国を凌いでいた。ミアシャイマー氏やその他の人々が使っている歴史的アナロジーは、非常に誇張されたものであると言える」
次に、今後の中国の経済成長が不確実性を抱えていることを示した。すなわち、国民一人当たりの所得が1万〜1万2,000ドルに達すると経済成長率が減速するという一般的傾向のほか、国民のうち4億人が1日2ドル以下で生活しているような不平等の拡大、国営企業の効率化、金融システム、格差、セーフティーネットといった障害である。
政治面での成長に関しても、課題を指摘した。政治的な不安定性、腐敗、法治国家の建設、政治的な参加が可能な制度の確立、国内紛争の制御などである。
「大きな中国が我々を20年後に圧倒するということを心配するのではなく、弱い中国を心配すべきだ」
さらに、中国の軍事力増強が続いても、米中の軍事力均衡は当面は崩れないと明言した。
「中国経済が成長を続けていけば、中国はそれに伴って軍事力も増強していくだろう。しかし米中間の軍事力の均衡はまだ崩れようとはしていない。中国は空母を建造しようとしているが、複数の空母機動部隊を持つようになるのはもっとずっと先のことだ。中国経済が今後20年で米国に追い付いたとしても、中国の軍事力は20年ではまだ米国に追い付かないだろう」
台湾の独立宣言と中国の軍事力行使
以上の根拠から、ナイ教授はこう結論を述べた。
「中国と米国が今世紀に戦争を行う必然性はない、というのが私の見方だ」
ただしこの結論は、グローバルなレベルでの米中関係についての分析であり、東アジアで米中の対立が起こる可能性は残っていると語った。例えば台湾有事である。
「中国がグローバルで米国と肩を並べる競争相手にはならないからといって、東アジアで米国に挑戦できないということにはならない。何らかの事件が台湾で起こる危険は常にある。中国は追い詰められたならば、あるいは追い詰められたと感じたならば、攻撃をするというリスクを選ぶ可能性もある。台湾がその可能性は少ないと思うが独立を宣言したならば、中国はおそらく軍事力を行使するだろう」
このような東アジアにおける中国の脅威に対応して日米がとるべき長期的戦略としてナイ教授が提案したのは、リアリズムとリベラリズム、つまりパワーの均衡と経済の統合を合わせた政策である。
同シンポジウム報告記事の後編では、ナイ教授が提案した日米同盟の対中戦略に焦点を当てる。
(次回に続く)